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ktf-osk
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10月23日
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No.2662の記事

長い間お世話になりました

何ぶん眠ったのが早朝に近かったので,9時頃まで寝てた。起きてからは子供たちに朝食を食べさせて,昨日同様に掃除だけをして11時前に葬儀会場へ。朝の間にお見舞いに来てくれた人もあったようだが,でもまあ一応の葬儀時間設定はしてるので,遺族に会えずに帰るとかいうのは仕方がない。
到着後に確認したら,葬儀後の「精進落ち」の飲食時に必要なドリンク類が足らないということで買いに走る。まあ,仏式の形式的なものになるが,実質的には昼食になるので,そないに細かいことは言わない。ついでに駅売店でスポーツ新聞と競艇ダービー紙を買う。
バタバタと買い物してたので着替えも遅くなり,ギリギリで11時半の葬儀に間に合う。一応,席次は喪主の母親の次になるが,あれこれと準備で忙しかったので,多少遅れようが暑くて上着を着ずに座ろうが,集まっているのは知った顔ばかりなので大丈夫。こういう時,他所からたくさんの人が来てたら色々と言われるのかも知れないが,そないな無理を言われても困るんで。
11時半からの葬儀,流れはほぼ通夜と一緒で,途中で孫の弔辞や弔電の紹介を挟む程度の差。孫からの弔辞として祖父との想い出を記した作文を読んで見送るというのはリアル感があって本当に良い。今まで何の縁も無い,単なる形だけの挨拶としての,勤務先の偉いさんとかからの定型文の弔電は,送って貰えるのはありがたいが,それが本当に故人を偲んでかどうかという意味合いからはありがたみはどうしても少ない。なので形式的に流したが,唯一残念だったのは,父親の元の職場仲間からの弔電を名前だけで流されたことか。こっちを先に文面から読むように伝え損なったのはミスった。
焼香もこれまた形式的に行う。自身は合掌するとか数珠を持つ意味を見出せ無かったので,個人的意志として深々と遺影に向かって「お疲れ様でした」と発声して頭を下げ,参列者にも「お見送りありがとうございました」と声を出し深々と礼をして,最大限の弔意と謝意を表す。まあ,自分の親なのでこういうスタイルを通夜から貫いたが,近所の人とか知り合いとかの葬儀だと,ちゃんと形だけでも数珠を持って手は合わせますので。今回は自分の親ということで,自身の送りたい方法でさせて貰うことに。
12時10分ぐらいに読経・焼香は終了。しばし合間を置いて棺に献花。いわゆる「最後のお別れ」ってやつですな。特に子供らには最後の姿をしっかりと見せるようにして,身内や近所の人が見終わった後ぐらいに,椅子に置いてたスポーツ新聞と競艇ダービー紙を棺に並べる。
ロクに野球のルールも知らず,球場でほとんど見たことも無いのに「阪神阪神」と言うてた,にわかミーハータイガースファンなおっさんだったが,「タイガース首位」という見出しの紙面なんでええでしょう。それに,子供の頃から尼崎競艇に連れて行って貰った記憶も多々あるし,これまで散々スってた競艇の,詳細なレース情報が満載のダービー紙を入れたのは,決して間違いでは無いやろ。ついでに,酒を入れた紙コップを棺に入れ,自分の指で口に付けて潤し,いつも吸ってたマイセンを取り出し,火を付けて一服吸ってから顔に煙を掛けると。これも五月蠅い人が見たら文句のひとつも言いそうだが,酒とタバコが好きだった人なのでこれぐらいは。
スポ紙・競艇・酒・タバコと,「常識人」な参列者から見たらゲスっぽく見えたかも知れんが,ここに至って形式張っても仕方ない。ありのままでええやんと。ダービー紙には赤ペンで今日のレース予想まで入れたった。向こうでも存分に下手な競艇をやってくれ。
12時半に出棺。孫曰く「だんじりみたいな霊柩車」ではなく,黒塗りの洋型・リムジン型とか言われるタイプで天六の焼き場まで。遺族はマイクロバスだが,葬儀と言えばお馴染みの千里山バスかと期待もあったけど,今回は大東バスという会社。バスマニアの間では「葬儀におけるマイクロバスの研究」とかは無いんかなと,ふと思ったりも。
焼き場で簡単な読経の後,13時10分に炉の中へ。炉の番号が13番だったのは,もし外国人だったら嫌だと思うのだろうか。こっちはちゃんと焼いてさえくれたら別に何番でも良いけれど。
一旦戻って「精進落ち」,適当に参列者に挨拶をして仕出し弁当を食す。食べる物は惜しまないので,少し高めの弁当を発注したが,食べきれないぐらいの量。ちょっと勿体ないことをしたか。で,2時間後,近親者だけで自家用車に分乗して再度焼き場に行って骨あげ。
事前に,ここ数年薬漬けだったので「骨がもろくなってるんとちゃうか」などと話はしてたが,炉の扉が開いて出て来たお骨を見たら,足や腕の関節部分はしっかりと模型のように残ってたが,ドクロは完全に崩れて原形を留めず,背骨アバラもバラバラ。子供の頃に祖母の骨を見て以来なのであまり記憶にないが,こんなものなのかな。
子供らは目の前の骨にビビってたが,「これも爺さんやで」と言うて何とか拾わせる。自分は下あごの骨を拾う。何せ口がないと酒もタバコも呑めない。良く見ると銀歯らしき部分もあったので,「すまん」と言いつつ骨を割り,その部分を骨壺に。やはり歯も無いとね,食べる物も噛めない。母親は利き手の右手指の骨を入れてた。
16時前に葬儀会場に戻り撤収作業を。飲食に際しては,バタバタと無計画に近かったので,仕出し弁当が5つも残り,飲みかけのPETボトルや買わなくても良かったビールが10数本も残ったが,これはある程度は仕方ないか。身内で分けて飲めば良いので無駄にはならないし。
最後に葬儀屋が自宅に来て小さい祭壇を組んで,叔母夫婦が初七日的なものとして経をあげてくれて,これで一連の「儀式」的なものは終了。室内がかなり線香臭くなったが,それよりもタバコの臭いの方が父親らしいので,儀式が終わったら線香を消してタバコに火を付ける。こっちの方がよほど供養になるように思う。墓や納骨をどうするか当分は決まらないので,しばらくは父親の骨と同居ですな。
夕食は,一旦自宅に戻った孫や従姉妹連中とファミレスで。早速にお肉を食べたりもするが,人間を焼いた後に「焼肉」を食べるとは,生きる意欲が存分にあるということで。下手に悲しみに暮れるよりも,こういう気合い充分な方がよさげ。スタミナを付ける=焼肉という父親だっただけに,供え物も肉類にした方がいいかなあ。
てなことで,儀式も無事に終えて慌ただしい3日間は無事に終了。亡くなった時間もあって,自宅で仮通夜が出来たのは本当に良かった。通夜・葬儀は対外的な意味合いもあるのでさすがに撮影とかは出来なかったが,その前日に自宅で過ごせたのは良い見送りになった。儀式や形式的なものではなく,亡骸を前に酒を飲んだり話をしたり,子供らがいつも通りにゲームをしたりと,日常に近い状況で一晩というのが,本当の意味で死者に対する敬弔の念を表す行動じゃないのかなあと思ったり。「死のデザイン」というのは各者それぞれに思うことはあるだろうけど。
これまでの経緯からある程度は想定していたが,やはり年齢的には早すぎる死,しかもこの時期にとは誰も思っていなかったので非常に残念だが,亡くなってしまったのはどうしようもない。ここ数年の闘病生活,本当にお疲れ様でした,そして長い間お世話になり,どうもありがとうございました。
後は何とかしますんで。