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親父の一番長い日

深夜に何か病院から連絡があるのではないかと思うと,そないにも深く眠ることは出来ず,何度も眼が覚めて朝を迎える。
そんな一夜を過ごす前に,最悪の状態が近づいてることから今一度,念のために記した書面,とは言ってもメモ程度にしか過ぎないが,呼吸困難な状態になった時に気管切開までして延命をするのは避けて,あくまで本人の心肺機能だけで維持して欲しいという文面を読んで家族の意向を再確認。
新しく変わった監視部屋の隣のベッドには,実際に気管切開をしてチューブで栄養を摂ってる患者が居るが,意識もほとんど無く,しかも誰も見舞いにも来ていない様子。タダでさえ痛々しいのに下手に延命を続けると,結局その状況が「当たり前」みたいな感覚になってしまいそうで何だか怖い。本人も元気な頃から「無意味な延命はいらん」とか「病気でダメになったら早く楽になりたい」とまで言ってたので,理解はしてくれるはず。
その連絡は朝食時に届いた。やはり今日がヤマ場か。「親父の一番長い日」最後までしっかりと付き合いますわ。とりあえず今すぐ来いではなかったので,身の廻りの簡単な支度だけを終え身内親戚への説明を済ませてから,病院へ急げタクシー。
10時前に着いたら奈良や北摂の親戚が来てた。電話後すぐに家を飛び出て来たらしい。どうもありがとうござます。
主治医の話では,先日来の不調は肺炎が原因と思われ,今朝のレントゲンでは左肺が完全に機能停止状態に。吐いてたのも痰が絡んでたのも肺炎の症状だったということで,この時期に肺炎とは誰も全く予想せず。腸閉塞が改善し帰宅したとして,冬場になって下手に風邪ひくとヤバいやろなあという程度の認識だったので。それだけ体力や抵抗力が落ちてるってなことでしょうな。いとも簡単に急変するってことは。
でもって,延命措置について家族の意向を伝え,残った時間を「楽」に過ごせるようにお願いする。血圧は何もしなければ50を切るので昇圧剤を,濃度を上げた酸素マスクを付けて点滴で最低限の輸液と抗生物質という手当のみ。着いた当初から昨日よりもさらに大きく肩で息をしている状況で,かなり痛々しく直視するのも辛い。視線もうつろで意識レベルも低下し声掛けにも正常な反応が出来ない状況。この様子を見て完全に「最期」を覚悟し,とりあえず「病院に集合」の号令を出すことに。皆が集まるまで何とか持ちこたえて欲しい。
昼過ぎから順に,普段よく行き来している親戚身内が集まり始める。そんななかで,いつもの入院時のようにデジカメで記録を撮ったら叔母に怒られたが,実際に元気な頃の記録があまり無い人なので,こういう時だからこそ少しでも記録を残さねばという思いもある。いやさ,ファインダーを覗くこっちも精神的にかなりキツいんですよ。でも,何かを残さないと…それが人生のラストで根性出してる姿であっても。
小さい子供も連れられて来てたんで,ロビーで相手をしたり,仕事を中座して来てくれた親戚と話をしたりして,病室は母親や従姉妹にしばらく任せておく。昼も過ぎて14時半頃になると,変な汗でシャツがだくだくになってるのと,家の留守電に何か入ってる可能性もあるし,何よりも仕事メールも含め情報収集のために持ってきたPCに挿入するカード端末を忘れたこともあり,一旦自宅へ戻ることに。
その間に何かあったら…と思うと大きな博打になるが,腹を決めて親戚の車で戻り,急いで所用を済ませて16時に病院へ戻る。そのすぐ後に,さらに容体が悪化。これまでは肩で大きく息をしていたのが急に静かになった。その瞬間を見た母親が慌てて看護師を呼んで医師も駆けつけ,心肺機能を示すモニターを初めて設置。3分おきぐらいで代わる代わる誰かが来る感じに。夕方17時も15分ぐらい過ぎた頃には,もう本人もかなり疲れたのか血圧や脈拍,呼吸数もかなり低下。声を掛けて手足を叩くと微妙に上昇したりと反応は見られるが,もはやこれまでか。
ここから後の10分間で,昼に一旦帰宅した従姉妹も何とか間に合って戻って来て,声を掛けたり温かい身体に触れることが出来,別の奈良の従姉妹もギリギリ間に合い,まだ「生きている」ところを見られたのは,最後の最後まで本人が頑張ってくれたおかげですわ。本当にありがとうございます。
最低レベルの生命維持な状況が続くなか,これ以上の刺激を与えても本人がしんどいだけと医師が判断して,17時半過ぎに「もうそろそろ」という感じで切り出したので,側に居た,母親,子供,孫,従姉妹,叔母夫婦などなど一同納得した表情で黙って手を離す。確かに「寝る子を起こす」ようなことをするのは本人にとってもきついですわな。しっかりと最期を看取らせて貰います。
その後,1〜2分は生命反応がモニターで確認が出来るが,息をしているかどうかは見た目では判らなくなって…そのまま静かに心肺停止。2007年9月7日・17時34分。63歳2ヶ月半の生涯を終えました。
昨夜の急変から24時間足らず,皆が集まって見送ることが出来るまでよく頑張ってくれました。お疲れ様でした。
で,遺された者が直面する実際問題として,葬儀に向けての準備がある。母親は父親の側に居させたいので,あちこちへの連絡を一手引き受けることに。まずは親戚身内への連絡。廊下の端で携帯片手にあちこちに電話したが,ここで一悶着。遠方の高齢者が来られないのは織り込み済みで知らせるだけなんだが,大阪に住む折り合いの良くない親戚は,こっちが話す前に「あんたの家の話は聞きたくない」と全く耳を貸さないとか,ここ10数年ロクに付き合いの無い親戚が,ここぞとばかりにいきなり「親戚ヅラ」をかさに掛けて来るとか,タダでさえしんどい時なのに,こういうのは本当に参った。
前者には病院ではあったが「親が死んでもその対応か」と怒鳴って切り,後者は帰宅後に母親が改めて電話をして話をしたが,相変わらず高飛車な態度に出られたので,連れ合いが亡くなった直後にもかかわらず母親がキレて「もう二度と連絡するか」と啖呵を切ってた。これらは早速もう通夜のネタになりそうな話やな。親戚でない近所の馴染みの人も,電話で聞いて慌てて来てくれたりというのもあったので余計にねえ。ホンマは,もっとええ話をしたいけど。
自宅近所の葬儀屋へも連絡を済ませ,19時過ぎに先に自宅に戻り仮通夜の準備。綺麗にベッドメイクして,干しっぱなしの洗濯物も片付け。他人さんが入っても大丈夫なようにして皆の帰宅を待つ。20時過ぎに葬儀屋が手配した寝台車で父親と,その後ろを付いて来た親戚身内が到着。少し遅れて葬儀屋が到着し,部屋まで運んでベッドに寝かせて整える。
葬儀は質素に家族で見送りたいという意向で,対外的にも大きく告知はせず,祭壇は大阪市規格のものを選択し,宗教色を少なくするために仏具を置かずに生花をたくさん並べたいというふうに依頼。読経については,別にこっちは信徒でも何でも無いが,叔母や従姉妹は経が読めるので,あくまで形式的なものとしてお願いをすることに。どこぞの訳わからん坊主が来るぐらいなら,この方がよほどマシ。「何を読むか」じゃなく「誰が読むか」。経の内容は正直どうでも良い,大事なのは経を読んで送りたいというその人の気持ちですわ。
つまりは,家族中心での葬儀と言えども,旧居での馴染みの人や,ツテを頼って昔の仕事仲間の人にも声を掛けたので,あまりに奇抜なのは出来ないため,一般形式的なものは一応残しつつ,出来る範囲で遺族の希望に沿う形ってな折衷案に。葬儀屋泣かせの注文かもしれませんな。
そんなこんなで,近所の人や遠方の親戚は帰宅して,深夜まで残ったのは若い衆や子供たちという仮通夜となる。孫や従姉妹の子供らが亡骸の側でゲーム機を取り合う,いつもの光景があったのは良いことかなと。事情を判っていないのもあるだろうが,辛気臭いよりもええですわ。
今夜も眠れませんな,身体はかなりきつくなって来てるけど。