Last Modified:11/25/1999


藤井寺球場最終戦


ホンマに最後? 藤井寺球場の試合。


1999年は,プロ野球パシフィックリーグ「大阪近鉄バファローズ」の,かつての本拠地であった「藤井寺球場」が,
1軍の公式戦で使用される一応?最後の年となった。10月07日,その最終公式戦の試合が開催された。

藤井寺球場は,現在のドーム球場全盛の時代,そして,関西圏では,大阪球場に続き,西宮球場,日生球場と,
「古き良き?(もしかしたら古き悪きかもしれないが…)時代」のスタジアムの雰囲気を色濃く残す,最後の砦でもあった。
しかも,そのナイター試合の開催を巡って,地元住民と球団側が裁判で争ったという,
歴史的に見ても特異な事情を有する,野球ファンならずとも一般の人にまで,
社会的に興味を引かれることが多いスタジアムあった。

私たちは,6月下旬に開催された「大阪近鉄バファローズ対千葉ロッテマリーンズ」の3連戦を観戦する予定であった。
しかし,梅雨の時期とあって,2試合が中止された。結局,私たちは試合を見ることは出来なかった。
おまけに,前から予想はされてはいたが,大阪近鉄球団が藤井寺球場からの撤退を公式に発表したのである。
年間の試合日程には,大阪ドームでの予備日が1日設けられていたが,
残りの1試合は,いったい何時,どこで開催されるのか,そこが非常に気になる点であった。
もしかしたら,藤井寺球場は使われることはないのか?
大阪ドームでは,10月に社会人野球が開催されるので,いくら大阪近鉄球団といえども,
そこに試合を組み込むのは難しいのでは…と思っていると,
上記のように10月07日に1999年の最終戦として対千葉ロッテ戦のカードが組まれたのであった。

早速,私たちは学内に掲示を出し,藤井寺球場最後?の試合を見るべく「巡検」(地理学業界用語で,
現地調査の意味)を企画した。数名の「同志」を得て,それは実行に移された。
予定よりもかなり少ない人数だったけれども…。

集合は,藤井寺球場レフトスタンドのスコアボード寄り。そう,私たちはバファローズファンではない。
いや,どちらかと言えば,アンチバファローズなのである。事実,私は旧南海ホークスファンであり,
現在は大阪ドームを中心に,福岡ダイエーホークスや千葉ロッテマリーンズの試合を見に行くことが多い。
また,この巡検の主宰者は中日ドラゴンズの熱狂的ファンであり,その他同行者も,
日本ハムファイターズやガンバ大阪のファン。つまり,バファローズファンは誰も居ないのである。
私たちは冷静に藤井寺球場の「その瞬間」を待ち続けることができた。

私は5時過ぎのラッシュにかかり始めた近鉄南大阪線の急行電車に乗った。
車中では野球観戦に行く3人組が会話していた。「こんだけ乗ってて何人が球場に行くのか?」,
「ロッテファンはいるのか?」と喋っていたので,ついつい,その輪の中に入り,藤井寺駅に着くまでの間,
見知らぬ野球ファンと何かと会話をしていた。そして,電車は藤井寺駅へ,もうすぐ到着。
その寸前に進行方向右手に藤井寺球場を見ることができるのだが,予想以上の人手が見て取れた。
はっきり言って,これは予想外。天気も昼前まで雨だったので,数千人程度と予想していたのだが…。


infield stand これはやはり,内野・外野の自由席が無料開放ということが大きかったのであろう。
左の写真を参照していただくとお判りのように,緑色の指定席の所はガラガラである。
その代わりに,内野自由席は,ほぼ満杯状態。外野自由席も同様。
普段の藤井寺球場で,ここまで客の入りがいいことは無いのだが…。
翌日のスポーツ紙によれば,観衆は18000人であったらしい。
この数字は最近の藤井寺球場の1試合当たり観客動員の約3倍であり,ややもすれば,
大阪ドームでの試合における観客動員をも上回る数字であった。


outfield stand 私たちが陣取った外野席の状況はと言うと,ライト側は熱心なバファローズ,そして,
レフト側は熱狂的なマリーンズファンで埋まり,久々に熱を帯びた応援風景が見られた。
試合の経過は,ほぼ大阪近鉄のペースで進み,狭い藤井寺球場にふさわしく,
吉岡・川口・中村・的山と,大阪近鉄の4本のホームランが飛び,6対3で最終戦を終えた。


inside しかし私たちは試合には,さほどの執着はない。
この最後の藤井寺球場を,この眼に焼き付けておくことが重要なのであった。
早速,あちこちを歩き回ってみた。

外野席の通路は相変わらず,コンクリートの打ちっ放し。
前日からの雨で,水たまりもできている。スタンドの通路は泥で汚れている…。
必ずしもきれいで,おしゃれな球場ではないが,いい雰囲気は醸し出している。


shopping wagon そして,通路の片隅には,朽ち果てた物販ワゴンの残骸まであった。
おそらく,80年代後半の藤井寺球場の全盛時代には,あらゆるバファローズグッズ等が,
このワゴンで売られていたのであろう。今や,その面影は全く見ることはできない。
いったい,このワゴンで,ファンや売り子はどういう会話を交わしたのであろうか?
当時は野茂,吉井,阿波野,ブライアント,石井,金村などといった,
スター的選手がわんさかと居たバファローズ。それは夢幻か…。


score board 藤井寺球場は,いまだに手書きのスコアボードを使用している。
プロ野球のフランチャイズ球場としては唯一のものではなかろうか?
ある意味,貴重な存在のスコアボード。

ここと同じく,かつてはバファローズの本拠地として使用されていた日生球場では,
点数計算を間違えていたり,同姓選手の使い回しなど,何かと面白い光景が見られたが,
藤井寺球場では,そういうことはなく,せいぜい,ホームラン花火が突然に
意味もなく発火する程度であった(これは,珍プレー好プレーで紹介されていた)。


ceremony 試合終了後は,最終戦恒例のセレモニーが執り行われた。
今季限りでの退任が決まった,佐々木大阪近鉄監督の「お詫び」,そして,
私たちが「球界の宝」と呼ぶ山本和範選手等からの花束贈呈が行われた。
しかし,この試合で山本選手の姿を見ることができなかったのは,本当に残念であった。
南海ホ−クス時代からの選手,なおかつ,特異な経歴を持つ選手なので,
私たちは,かねてより注目し応援し続けてきた。南海〜福岡ダイエーと…。
最後に一目でも見ることができなかったのが,プロ野球ファンとして悔やまれる。


以上で,藤井寺球場の最終戦は終わり, フランチャイズ球場としての幕は閉じた…。
しかし,果たして本当に,これで最後なのであろうか?
2軍の試合を藤井寺で主催することは別として,1軍公式戦は未来永劫行われないのであろうか?
大阪球場や日生球場のように,球場自体は,そのまま存在し続け,取り壊されるわけではないのである。
しかも,大阪ドームは大阪近鉄球団の自前のスタジアムではなく,あくまでも借り物であり,プロ野球以外に,
コンサートやイベントにも用いられるマルチユースの施設なのである。付け加えて言うならば,1回の興業当たりで見ると,
プロ野球よりも,それらイベントの方が観客動員が良いことが多々あるのだ。

これらのことを考えると,球団側の「藤井寺完全撤退」と言う発言はあれども,いまいち完全納得できない点がある。
大阪ドームは確かに素晴らしいスタジアムではあるが,藤井寺球場も,それに匹敵する魅力を持っている。
ある意味においては,数少ない「古き良き」存在としてアピールが可能なスタジアムなのである。

私は,猥雑な雰囲気であれば絶対的に良いと言っているわけではない。しかし,現在のドームスタジアムのような,
あらゆる行為が管理された,例えばスタンドで「うどん」ひとつ食べるにも注意されるような所が良いとも思わない。
そもそも,スタジアムは映画館や劇場と同じく,都市中心および周縁部での立地が主であったように思われる。
それが,郊外へ脱出していったのは,ライオンズの西武球場を嚆矢とする,ここ20年ほどのことではなかろうか。
郊外立地はニュータウンと同じく,新しく計画的であり清潔で「文化的」であり,かつ猥雑さを否定して居るように感じる。
街を歩いている兄ちゃんやおっちゃんが,ふらっと立ち寄ることができる場所ではなくなってしまったのが,
今のスタジアムと言えるであろう。しかし,藤井寺球場は,郊外に位置しながら,その歴史性や地元の風土もあって,
熱狂的な雰囲気を醸し出している。一方,大阪ドームは,その好立地にもかかわらず,集客難に悩まされている。

営業を考えていない一野球ファンからすれば,必ずしも観客動員が多ければ良いとは思わない。
やはり,雰囲気が一番ではないのだろうか?現実社会のあらゆる縮図,
それが見られるのがスタジアムだと思うのだが…。いずれにせよ,藤井寺で公式戦が開催されないとすれば,
やはりもの悲しいことには違いない。

で,この文章の結論は,一体何なのか,それは私自身もわからなくなってきた…ここらで断筆。


そして,大阪近鉄バファローズの広報紙「Buffie Buffie」にも,
藤井寺ラストゲームの記事が掲載されています。

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